毒親とAC

AC アダルトチルドレンという言葉をきいたことはありますか?

幼少期に親や周囲の大人から虐待や暴言を受け、機能不全家族のなかで育ち、生きづらさを感じたまま大人になった人のことです。

トラウマを抱えていたり、社会に上手く適応できないケースが多くあります。

 

私もそんな機能不全家族のなかで育ちました。

私は3人姉妹の末っ子に生まれましたが、周囲からはよく末っ子ぽくないなんて言われます。

私のことを甘やかしてくれる人が家族にいなかったので、いわゆる末っ子にもたれがちなイメージの“愛嬌があり、世渡り上手で、わがままな子” になれなかったからだと思います。

自分のことは自分で解決しなきゃならないんだと、子供ながらに不器用に考えて育ちました。

そのせいかいまだに物事を効率的に考えることが苦手なように思います。

感情に任せることもあり、子どもっぽい判断になってしまうことも多々あります。

 

アダルトチルドレンの症状

  • 自分の判断に自信がもてない
  • 自己感情の認識、表現、統制が下手
  • 自分は他人と違っていると感じる
  • 傷つきやすく、引きこもりがち
  • 孤独感、自己疎外感
  • 必要以上に自己犠牲的
  • 物事を最後までやり遂げることが困難
  • 他人に依存的
  • 罪悪感をもちやすく、自虐的
  • 常に不安感、リラックスして心から楽しめない

 

私にあてはまる症状はこんなところでしょうか。

未だに自分の感情のコントロールが出来ずに苦しむ事があります。

なぜなら、幼少期に常に自分の感情を押し殺してすごしていたからだと思います。

母がヒステリックな人で、常に怒鳴っていたので、とくに自分の悲しみと怒りというか感情は出さないようにしていました。

人に迷惑をかけるとおもっていました。

それから、嬉しいや楽しいという感情を表にだすのもダメなことだと考えていました。

その理由としては、母が人の幸福を極端に妬んでいたことが原因だとおもいます。

 

そんなおさこんでいた感情が、ある日突然おさえきれなくて、爆発するなんてことがありました。

その日から後はしばらく引きこもることもありました。

 

両親のかんけい

母がいつも怒鳴り散らしている人だったので、父は日に日に寡黙になっていきました。

私がまだ幼かった頃は、父も母をなだめようとしていたのか、夫婦ケンカを毎日していました。

それが母になにをいっても無駄だとある日気が付いたのだとおもいます。

いつも支離滅裂なことを言う人とは、まともにケンカもできませんよね。

夫婦ケンカというよりかは、母が一方的に父に対して愚痴をさんざんぶちまけるようになっていってました。

それでも、家族を見捨てずに毎晩きちんと家に帰ってきてくれていた父には尊敬します。

一緒に住んでいたころは父のことも責めたりしていましたが。

なんでお母さんときちんと話してくれないの!!

って感じで。

むしろお父さんのせいで、お母さんはあんなにもヒステリックになってしまったんだと考えていました。

母の愚痴を毎日きいていたせいで、お父さんは悪者みたいなイメージを刷り込まれていたんだとおもいます。

おそらく父も仕事と家庭のストレスでうつ状態になっていたのではないかと、、、

 

母はなんの精神疾患があるのか、本人が病院にいくことを嫌がるのではっきりとはわかりませんが

と、インターネットで調べた限りはこの辺りが当てはまるように思います。

母もそうなってしまった原因は幼少期の環境だとか、

いろいろあるとおもいますが、

正直わかりません。わかってあげたいとも思いません。

 

嫁姑もんだい

私が高校生にあがったころから、父方の母(私の祖母)が同居するようになりました。

理由は祖父が他界して、一人暮らしさせるのが心配だからと。

 

正直、私はこの決断をくだした大人たちを一生許すことはできないと思います。

もともと母と祖母は不仲でした。

いわゆる世間一般的な嫁姑の関係です。

互いにプライドは高く、表面はよいですが、内心よく思っていないのはしっていました。

それにくわえて、母の理不尽でコントロールの効かないヒステリックな性格、、、

 

我が家は崩壊しました。いや、もともと、かな笑笑

 

あまり記憶がありません。

人生で一番楽しいはずである高校生という青春時代。

一番辛い暗黒の時代でした。

 

初めのうちはお互いにまだ牽制しあっていたというか、そこまで本音をぶつけずにいい距離感でやっていたのですが、

まぁ、、、母の怒りの沸点はだれにも読めません。

祖母の言動が事あるごとに母の地雷をふんでしまい、気がついた頃には大爆発。

祖母もエネルギーに溢れていた人だったので、買い言葉に売り言葉。

2人の間には父でさえ入れない。

というか、入りたくない、巻き込まれたくないという思いが一番でしたが。

 

なぜ、そこまで犬猿の仲になってしまったのか

祖母の気が強い凛とした性格と社交性に嫉妬していたのだとおもいます。

また、ウチに越してきて、地域でお友達が出来るように集まりに積極的に参加して、

よくお年寄りのお友達と外出していました。

社交的な人だったし、家にいても退屈だから、人として当たり前だと思うんですよね。

 

しかし母としてはそれが許せず、、、

 

母はもともと人付き合いが苦手で友人と呼べる人でさえもいるのかいないのか。。。

子どもを3人地元の小学校に通わせていたにも関わらず、

ママ友なんて呼べる人に会っているのを見たことがありません。

 

母は表面はすごく愛想良く礼儀正しく接するのですが、

その後はあることないこと(9割ないこと)愚痴のオンパレードです。

人の言っていることを裏の意味にとって

自分に関わるひとは全員うそつきで、敵で、裏切り者で、みたいな妄想の悪口が半永久的に続きます。

 

子供の頃は人ってみんなお母さんみたいなんだと、正直極度の人見知りでした。

表面上は仲良く振る舞ってくれても、裏ではどうせみんな悪口いっているんだろうと擦り込まれてしまい、自分の意見を出すことができなかったです。

20歳ごろまで。

 

だから私の周りの友達は私がなにを考えているのか分からなくて困っていたと思います。

大学に入るまでは周りに流されて、勉強してテスト受けていれば、自分の意見をいわなくてもなんとか生きていける状況です。

しかし大学に入って、自分で発言をしたり、選択しないといけないことが増えたときに

私はパニックになりました。

え、どうやってこの先生きていけばいいのだろうと。

 

話は戻りますが、私がちょうど受験期のころでした、嫁姑問題が酷すぎて、ストレスとストレスとストレスとストレスにより

全くといっていいほど勉強に身が入りませんでした。

あと自分の中で大学に行く意味がなかったというのもありましたが。

生きてる意味もわからないのに、何のために猛勉強して大学に行く意味なんてあるんだろう。

 

母は子どもにいい大学に入って、いい会社に勤めて、いい旦那様をみつけて安定した

将来を築き上げて欲しいみたいなことを言っていました。

3人中1人はきちんと働いて仕事もしています。

でもあんな家庭環境の中では強靭なメンタルを持った人だって難しいです。

レコーダーにとっておけばなぁ

 

あの頃の記憶はなかったことにしているので、今でも思い出して詳細を書くのは難しいです。

 

ただ一つ覚えているのは、ある日祖母が疲れ切った顔で

「OOちゃんが勉強の成績が上がらないのは私がこの家に来たからなんでしょ?」

と言われました。

はっきり言って、祖母が同居し始めてから母の凶暴化は加速していってたし、うんそうだよ。と言ってしまいたかったですが、

祖母のあそこまで絶望しきった顔をみたことなかった私は困惑して、

そんなことないよ、私が頑張ってないから。みたく返しました。

 

そうだと言ったところで、祖母はすぐに出ていける訳でも

ないですし、母の性格が急に穏やかになるわけでもありません。

私も私自身の人生に絶望していたのも事実です。

 

理由がなかったので大学なんていかなくても良かったのかと当時は思っていましたが、学位を取っただけ十分です。

半分ひきこもりで卒業までそうとうの年月を要しましたが。

親は金がない金がないといっていましたが、祖父母の代がよっぽど貯金をしてくれていたので、卒業することができました。

 

未だに両親の金銭感覚はわかりません。

正直、私もお金にそうとう疎かったです。

そういうの教えてくれる親だったらな、と考えてしまいます。

祖父母の代が裕福だったので、私の両親はお金に苦労することなく生きていくことができるようです。

羨ましい。

その割に人には金を返せ、返せ、ばかりです。

自分で稼いだ金じゃないのに。

誰が大学まで出させてやったんだ。誰がこの家の税金払ってると思ってんだ。

ばかりです。

自分で稼いだ金じゃないのに。

自分の金で建てた家じゃないのに。

 

、、、と言った正論で返すものなら、その1000倍くらいのパワーで人を罵倒してくるものですから、

はい、すいません。

くらいしか言わないんですけど、

 

反応が薄いと、なんだそれだけか、じゃあ今すぐ金払えよ

、、、てなって、それまた怒りに触れるんです。

 

母の許容範囲の狭さは日本人のトップ10に入るのではないでしょうか。

 

今だからこそ、こうして文字に書き起こせますけど

 

ずうううううううっと蓋をしていました。

 

しかし、それだと私の芯の部分がどうにも良くならないので、時間をかけてアウトプットしていきます。

 

もうまとめも結論もないや。

 

書きたいことを書いてるだけになってしまいました。

論理的になれるようにコツコツ頑張ります。

できるだけ毎日つづけます。

 

ここまで読んでいる人は私だけでしょう説