私がワーホリを決めた理由。その1

はじめまして、アイルランドにワーホリ中のメンヘラです。笑

私が日本から離れたかった理由を今回は書いていこきたいです。

 

 

精神疾患とひきこもりの過去

 

これが一番の理由です。

ワーキングホリデーに行くまでは、ぶっちゃけ自殺志願者でした。

機能不全家族のもとに生まれ育った私は、

自己肯定感のかけらもなく生きる気力がないまま社会人になりました。

頑張るには頑張りましたが、社会人としてのメンタル耐性が弱すぎたため

3年も経たずに鬱を発症し、離職しました。

なにをやってもダメ人間だなと、秘技のひきこもりを発動し、

しばらく死ぬことばかりを考えていました。

社会人になるまでも、高校、大学も半ひっきーで紆余曲折ありました。

 

 

そんな人って結局かまってほしいだけで実際には死ねないんですよね。

ていうか、それってわたし笑

 

よし、どうせ今すぐ死ねないなら、今あるお金を使い切ってから死ぬか。

と考えに考えあぐねた結果、超極論にいたったわけです。

 

それじゃあ、もういっそ1年くらい?笑

ワーホリとか興味あるし、オーストラリア気候良さそうだし、、、

 

海外にいけば今までの私の過去とかそんなん詮索する人いないでしょう?

英語なら都合悪いこと聞かれても、

“ちょっとなにいってるかわかんない”とか言えば誤魔化せるでしょう?

 

雑魚な考えです。

甘い。

 

オーストリア日本人いっぱい笑

しかも私は4月にいっちゃったんですよ。

いちばん日本人が渡るときなんです。新学期の始まるシーズンだから。

語学学校も住んでいたホステルも、どこもかしこも日本人。

楽しかったですよ、もちろん。

 

 

私は当時は気がつかなったのですが、

我が家はいろいろと特殊でした。

いわゆる機能不全家族で、毒親で、私はアダルトチルドレンでした。

 

ここでいきなり家族の紹介

 どゆこと笑

 

母が精神疾患をもっている人で(実際に受診してないので、99%くらいの事実)

ちょっとでも気に食わない事があると怒鳴り散らすし、子どもを罵倒したりするのは朝飯前で、人の悪口しかいわないし、世の中の人は全員敵だ、みたいなキチガイな考えの人でした。

彼女のおかげで、子どもたちは自尊心の欠如した人間に育ちました。

 

父は嫁姑問題の間に挟まれストレスによる心筋梗塞で倒れました(10年前に他界)

女ばかりの家で大黒柱としてがんばって働いてくれていたのですが、家族のストレスの負担が大きすぎたんだと思います。

寡黙だったのでなにを考えていたのか、よく分かりませんでしたが。

今はあの世でのんびりやっているでしょう。

 

長女は小学生からのひきこもりプロでした。(今は社会復帰してます)

小学校に上がるときに引っ越して、仲良しの子と離れ離れになったのが原因だったと言っています。

そのときの母の言葉が酷かったんだとか。母親の言葉の力は絶大です。良い意味でも悪い意味でも。

小学校と中学校にきちんと行けてなかったので、社会との差を今でもストレスに感じることがあるみたいです。

母の悪影響をいちばんに受けてしまったので、憎しみも大きいと思いますが、今は互いに理解をしようと努力しているようです。

そいえば、私も姉ときちんと話せるようになったのは、この5年くらいかもしれません。

 

次女は母の期待に応えるべく、勉強をがんばって、きちんと就職しています。(まっとーな人生を歩んでいます)

彼女のストレスの捌け口は勉強だったみたいです。勉強は努力したぶんだけ結果がわかりやすくでるから、家族のストレスがあっても勉強に集中するようにがんばっていたみたいです。

さすが理系。

ただ、友達をつくったりとか、コミュニケーションの面では苦労をしているみたいです。

家の中ではコミュニケーションは皆無だったので。笑

 

 

といういわゆる家族団欒のない家族でした!むしろ毎朝、毎晩どなりあっているような家族でした。

こんな家族、ないほうがましだと1000万回くらい考えていましたし、

母を刺し殺そうと100回くらい考えました。

 

でも、こんな奴のために私の人生を棒に振りたくない。

ちゃんとした屋根のある家の一人部屋で眠れるだけマシだ、と

毎晩言い聞かせて、生きてきました。

 

犯罪歴があるとワーホリのビザが取れないので勢いあまらなくて良かったです。

 

 

長くなりましたが、上記の家族が私の生まれ育ったコミュニティです。

私を安心させてくれて、甘やかしてくれる人はいなく、自己を肯定してくれる人もいませんでした。

なにか問題があったら、自分で考えて解決するか、できなかったら逃げる!という策をとって生き延びてきました。

 

さて、そんな環境で成長したので、自信のなさと人間不信により人とコミュニケーションを取ることを避けていて、親しい友達はあまりできず、クラスでもずっと陰キャラでミステリアスな子というポジションでした。

 

自己形成がされなくて、好きなことや興味があることが分からず、将来の夢もとくにありませんでした。

否定されることが怖くて、なにかに興味を持つことがいけないのではないかと思っていました。

母に否定されたり、けなされたりが日常茶飯事だったので。

ときどき姉2人も参戦してきて、家族揃って末っ子イジメされてました。小さいから言い返すことなんてできませんでした。

 

私が高校生になってから父方の祖母が同居することになり、家中がダークサイドに一気に引き込まれました。ご想像していただける1000倍くらいの嫁姑問題です。

それを言い訳にしてはいけないと思うのですが、受験期の娘のことなんて母に気にする余裕などなく、鳴り止まない怒鳴り声と、家中の空気の重さによるストレス、、、全く勉強に身が入りませんでした。

 

特に大学に行く意味が見出せなかったというのもありました。

生きてる意味もわかりませんでした。笑

しかし、通っていた高校がなかなかの進学校だったことと、

住んでいた地域が勉強熱心で勝ち組てきで高貴なご家庭が多かったことにより、

 

なんの疑問もなく大学受験の流れだったので、とりあえず受験していました。

 

志望していた大学に受からなかったので浪人しました。

なぜ浪人したのだろうと!今の私なら反対します笑

 

なんでもいいからストレートでいいから、受かったとこに通っていればよかったのに。

なんでもいいから1番偏差値が低い学部でいいから、受けて入っとけば後から編入できたのに。

 

そんなわけで浪人しましたが、我が家の状況はなにも変わらず。

私の士気も上がるわけがなく。廃人のような一年でした。

一浪したにも関わらず、第一志望の大学には入れませんでした。

 

きっと、その頃からうつ病を発症していたと思います。

人生ずっと鬱のようなものだったので、自覚はあまりなく。

 

大学生になってから、ひきこもりになりました。

卒業するのに6年間かかりました。

何度も何度も辞めようと思っていました。

 

特にイジメとか、勉強が大変だったとか、大きな病気をしたとか

全く理由は自分でもわからないのです。

 

ただ自分という存在がわからなかった。

なんのために学校にいって社会にでるのか。

生きてたってしょうがないし、どうせいつか死ぬし。

 

大学生になっても厨二病を患い、メンヘラだったんです。

友達もそこそこできて、サークルも入って、楽しいときは楽しかったのですが

 

自分自身にこれといって長所がない、魅力がない、努力もできない

 

と周囲の友だちと自分を比較しながら、自己否定を強めて

自ら鬱になっていったというのでしょうか。

 

たくさんの人と出会えば出会うほど、自分の存在価値がないように思えて仕方なかったのです。

 

今こうやって思い返すと、なんだそんな事バカじゃないのかと、笑い飛ばせるのに

心が病んでいたときは何もわからないんです。

 

ケイタイを水没させて、友だちとの連絡をいっさい遮断させました。

アホやん。笑

 

急に連絡が途絶えたらなにがあった!と心配しますよね。

友だちに心配されてる、迷惑かけてるということに気が付かずに

自分のことばかり考えて

着信やメールがあっても、

 

あ、やばい怒られる、殺される

みたいに思っていました。

 

んんんんん、、、、なんなんでしょう。

 

完璧でないといけない、理想通りの自分でないといけない。

そうでないと人に嫌われてしまう。認めてもらえなくなる。

 

という潜在意識があって、

少しでもダメな自分に気がついてしまったら、もう生きていけない

ていうような考えだったのでしょうか。

 

学生のうちに世界一周旅行でもなんでもしておけばよかったです。

どうせ死ねずにひきこもって時間を無駄にしていたのですから。

 

私には大事な時間だったということで前向きに捉えるようにしています。

 

心を整える時間

だったということで。

 

西野さんもいっていました。過去は変えられると

 

変えてみせましょう。

 

 

そんな様々なうつうつとした経歴があり、社会人になっても自分が新卒のわりに年齢がいっていることを気にしすぎて、そのぶん頑張らないといけないとプレッシャーをかけすぎました。

 

その上、日本の上下社会を生き抜くのに必要な

“空気を読む”

という風潮が、辛すぎて。

空気なんて読めません、死んで詫びます。という気持ちでした。

 

おそらく10kgほど太ったと思います。

ストレスで毎晩チョコやお菓子を大量に買って食べるという過食になっていました。

 

以上が、メンタル面による私がワーホリ行きを考えた理由です。

ながい。