チャレンジし続けること

年齢とか、世間体とか、キャリアだとか

人それぞれ歳をとればとるほど現状を変えることに不安を覚えます。

 

人間だれでも自己防衛本能があるので

今ある安定していて、問題なく暮らせているのであれば

リスクを犯してまで環境を変えることはしたくないのが当然です。

 

それが日本のばあい、年齢的なことまでもを問題視されます。

何才までに〇〇して、何才までに〇〇して、何才ころに〇〇できてれば幸せだよね。

て誰が決めてるんでしょう。

誰が決めたルールでもないのに、それに従っていれば安心だ、社会的に信頼してもらえる

のような暗黙のルールがガッチリと決められてしまっているように感じます。

そこから少しでも逸れると、ちょっと爪弾きにあいます。

住みづらい雰囲気になってしまいます。

 

集団意識が高い日本人は

“みんながそうしているから” 右に倣えな姿勢の方が多いのではないでしょうか。

 

義務教育を終えたら、高校へ行き、大学や専門学校へ行き、社会人として働き始めます。

就活もみんな黒スーツ、髪も黒くして、まじめで信頼してもらえそうな外見にし、

雇ってもらえる会社を探します。

 

そんなクローンのような人々の中から、なにを基準にして選ぶんでしょう企業は。

まいいや。

 

つまりは、なぜ個性を潰す必要性があるのだろうと疑問に思ってしまうのです。

 

大枠は同じ日本人です。

でも中身はひとりひとり違うじゃないですか。

 

髪の色で人間性が判断できるとは思えません。

ていうか外見や性別で差別するのは、いい加減バカバカしいです。

いつの時代を彼らは生きているんでしょう。

まだケータイではなく黒電話を使っているのでしょうか。

そんな人たちこそクビになってほしいです。

 

集団意識を尊重するのと、個性を殺すのは別の問題だと思います。

もっとひとりひとりが発言しやすく、

性別とか年齢や学歴なんかに囚われずに、

自由にチャレンジし続けて、アイディアに溢れるような社会になればいいのに。

 

インターネットが普及して

日本企業は最先端の技術を開発しているけど

3歩くらい出遅れているのは、

年功序列だとか、天下りとか、官僚主義で仕事を進めているから。

 

ボケ老人たちに税金使うなら

若い世代に有意義に使ってほしいです。

 

誰のための日本社会なんでしょうね。

長寿大国であることを、そんなに誇る意味があるのかと思います。