チャレンジし続けること

年齢とか、世間体とか、キャリアだとか

人それぞれ歳をとればとるほど現状を変えることに不安を覚えます。

 

人間だれでも自己防衛本能があるので

今ある安定していて、問題なく暮らせているのであれば

リスクを犯してまで環境を変えることはしたくないのが当然です。

 

それが日本のばあい、年齢的なことまでもを問題視されます。

何才までに〇〇して、何才までに〇〇して、何才ころに〇〇できてれば幸せだよね。

て誰が決めてるんでしょう。

誰が決めたルールでもないのに、それに従っていれば安心だ、社会的に信頼してもらえる

のような暗黙のルールがガッチリと決められてしまっているように感じます。

そこから少しでも逸れると、ちょっと爪弾きにあいます。

住みづらい雰囲気になってしまいます。

 

集団意識が高い日本人は

“みんながそうしているから” 右に倣えな姿勢の方が多いのではないでしょうか。

 

義務教育を終えたら、高校へ行き、大学や専門学校へ行き、社会人として働き始めます。

就活もみんな黒スーツ、髪も黒くして、まじめで信頼してもらえそうな外見にし、

雇ってもらえる会社を探します。

 

そんなクローンのような人々の中から、なにを基準にして選ぶんでしょう企業は。

まいいや。

 

つまりは、なぜ個性を潰す必要性があるのだろうと疑問に思ってしまうのです。

 

大枠は同じ日本人です。

でも中身はひとりひとり違うじゃないですか。

 

髪の色で人間性が判断できるとは思えません。

ていうか外見や性別で差別するのは、いい加減バカバカしいです。

いつの時代を彼らは生きているんでしょう。

まだケータイではなく黒電話を使っているのでしょうか。

そんな人たちこそクビになってほしいです。

 

集団意識を尊重するのと、個性を殺すのは別の問題だと思います。

もっとひとりひとりが発言しやすく、

性別とか年齢や学歴なんかに囚われずに、

自由にチャレンジし続けて、アイディアに溢れるような社会になればいいのに。

 

インターネットが普及して

日本企業は最先端の技術を開発しているけど

3歩くらい出遅れているのは、

年功序列だとか、天下りとか、官僚主義で仕事を進めているから。

 

ボケ老人たちに税金使うなら

若い世代に有意義に使ってほしいです。

 

誰のための日本社会なんでしょうね。

長寿大国であることを、そんなに誇る意味があるのかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アイルランドで過ごした4ヶ月

アイルランドにワーホリで移住してきて

早くも4ヶ月が経とうとしています。

そして、離れることを決めました。

 

理由はたくさんあります。

・仕事はダブリンにほとんど集中している

・ダブリンの部屋数が足りていない

・あったとしても高い

 →学生でさえも苦労する母数の少なさ

 →しかし行政は部屋を増やすつもりはないらしい

 →ブラジルや南米からの移民が増えているのも問題

 →ブレグジット問題もあり、イギリスよりもアイルランドに職を求める移民が増えてる

・入国してから3ヶ月以内に1年用のVISAを申請しないといけないのに、

 移民局の予約がそもそも取れない

・住んでいる都市の移民局(もしくは移民担当者がいる警察署)でないと受け付けてくれない。

・田舎だと週に2日くらいしか開いていない

・とくにHPには書いてないが住所証明の提示を求められる

 →公共料金などの振込書か家主のサインが書いてあるレターじゃないとダメだと言われた

 →もう一度いうけど、公式には記されていない

・1年しか滞在できないのに€300も申請費がかかる

・需要と供給のバランスがおかしい

・政府は改善に前向きではない→は?

・夏はカラッとしていて過ごしやすい

・山の上の天気か、っていうレベルの天気の変わりよう

アイルランドの人はみんな天気の話をする

・羊がいっぱい

・空気がきれい

・自然が豊か

・パブがたくさんある

アイリッシュミュージックは大概どこのパブでもきける

・他にこれといった娯楽はない

・冬は日が短くて雨が多いし、寒いので、鬱になりやすい

 

と、つまりはよっぽど楽しい仕事といい部屋に辿り着くのに難易度が高い国だといえます。

ダブリン が首都であり、1番栄えている都市ですが、こじんまりとしています。

ビールとアイリッシュミュージックが好きな人は楽しめると思います。

 

ワーホリでアイルランドに来ることを考えている方は事前準備と下調べをしっかりして来ていただきたいと思います。

どうせ1年過ごすならダブリン 、もしくはゴールウェイやコークなどの中都市が仕事もそれなりにありますし、不便なく過ごせると思います。

しかし、部屋不足はダブリン だけでなく、大学があるどこの都市でも起きている問題です。

なので来るのは4月から7月の間がベストシーズンだと思います。

8月になると(7月の中旬ごろから怪しいかも)全くいい部屋が見つかりません。

シェアルームでも構わないかたは、予算内の部屋がまだ残っているかもしれませんが、それでも割高だと思います。

 

また、アイルランド政府から発行してもらえる移民用のVISAですが、こちらまず警察(移民局)のHPに登録し、申請する日時を3ヶ月以内で予約をとるというシステムなのですが、バカみたいに見事に埋まっています。

嘘ではないです。毎日更新される時間にあわせて地道にキャンセルをチェックするか有料の代理予約のシステムを利用するなどしないと、ほぼ不可能です。

 

なのでこちらも無駄なお金を使いたくないというのであれば、渡航が決まったらなるべく早く登録をし、日本から毎日チェックするようにしましょう。

因みに私は代理で予約してくれるシステムを利用しました。

その時は2、3日待ったらキャンセルが出て、1ヶ月先くらいの日に予約が取れたのですが、

私の場合、ダブリン市内に部屋が見つからなかったので、利用料€15は支払ったのになくなく断念しました。

 

ワーホリが3カ国目だという油断がありました。

オーストラリアのときもイギリスのときも出だしからここまで出足を挫かれたことはありません。

アイルランドのほうが小さくて人気のない国だから、何事もややこしくなくスムーズに行くだろうと高を括っていました。

全くの真逆でした。

移民の数の多さに比べて、部屋の数の少なさも、行政の対応の遅さも全て計算外でした。

日本じゃ絶対にありえない。ということがありえてる国です

 

絶対にアイルランドじゃないとダメだ、という絶対的な目的がないと1年過ごすのはなかなかハイレベルな国です。

ヨーロッパの他の国でも大きな都市なら英語を学ぶことはできます。

イギリスは抽選なので当たらないと行けませんが、

英語の学習目的でヨーロッパの都市に住みたいのであれば、アイルランド である必要性はそこまでないと思います。

 

ドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダなどはみなさん英語の発音がきれいです。

スカンジナビア半島ノルウェースウェーデンデンマークも素敵なところですが、

冬の寒さを考えると、1年は長いように思いますね。

 

ロンドンで2年間過ごした私ですが、アイルランドは娯楽が少ないぶん冬の暗さと寒さをよけいに感じます。

本当に冬季うつになります。ヨーロッパの冬の寒さには気をつけてください。

 

 

 

 

 

私がワーホリを決めた理由。その1

はじめまして、アイルランドにワーホリ中のメンヘラです。笑

私が日本から離れたかった理由を今回は書いていこきたいです。

 

 

精神疾患とひきこもりの過去

 

これが一番の理由です。

ワーキングホリデーに行くまでは、ぶっちゃけ自殺志願者でした。

機能不全家族のもとに生まれ育った私は、

自己肯定感のかけらもなく生きる気力がないまま社会人になりました。

頑張るには頑張りましたが、社会人としてのメンタル耐性が弱すぎたため

3年も経たずに鬱を発症し、離職しました。

なにをやってもダメ人間だなと、秘技のひきこもりを発動し、

しばらく死ぬことばかりを考えていました。

社会人になるまでも、高校、大学も半ひっきーで紆余曲折ありました。

 

 

そんな人って結局かまってほしいだけで実際には死ねないんですよね。

ていうか、それってわたし笑

 

よし、どうせ今すぐ死ねないなら、今あるお金を使い切ってから死ぬか。

と考えに考えあぐねた結果、超極論にいたったわけです。

 

それじゃあ、もういっそ1年くらい?笑

ワーホリとか興味あるし、オーストラリア気候良さそうだし、、、

 

海外にいけば今までの私の過去とかそんなん詮索する人いないでしょう?

英語なら都合悪いこと聞かれても、

“ちょっとなにいってるかわかんない”とか言えば誤魔化せるでしょう?

 

雑魚な考えです。

甘い。

 

オーストリア日本人いっぱい笑

しかも私は4月にいっちゃったんですよ。

いちばん日本人が渡るときなんです。新学期の始まるシーズンだから。

語学学校も住んでいたホステルも、どこもかしこも日本人。

楽しかったですよ、もちろん。

 

 

私は当時は気がつかなったのですが、

我が家はいろいろと特殊でした。

いわゆる機能不全家族で、毒親で、私はアダルトチルドレンでした。

 

ここでいきなり家族の紹介

 どゆこと笑

 

母が精神疾患をもっている人で(実際に受診してないので、99%くらいの事実)

ちょっとでも気に食わない事があると怒鳴り散らすし、子どもを罵倒したりするのは朝飯前で、人の悪口しかいわないし、世の中の人は全員敵だ、みたいなキチガイな考えの人でした。

彼女のおかげで、子どもたちは自尊心の欠如した人間に育ちました。

 

父は嫁姑問題の間に挟まれストレスによる心筋梗塞で倒れました(10年前に他界)

女ばかりの家で大黒柱としてがんばって働いてくれていたのですが、家族のストレスの負担が大きすぎたんだと思います。

寡黙だったのでなにを考えていたのか、よく分かりませんでしたが。

今はあの世でのんびりやっているでしょう。

 

長女は小学生からのひきこもりプロでした。(今は社会復帰してます)

小学校に上がるときに引っ越して、仲良しの子と離れ離れになったのが原因だったと言っています。

そのときの母の言葉が酷かったんだとか。母親の言葉の力は絶大です。良い意味でも悪い意味でも。

小学校と中学校にきちんと行けてなかったので、社会との差を今でもストレスに感じることがあるみたいです。

母の悪影響をいちばんに受けてしまったので、憎しみも大きいと思いますが、今は互いに理解をしようと努力しているようです。

そいえば、私も姉ときちんと話せるようになったのは、この5年くらいかもしれません。

 

次女は母の期待に応えるべく、勉強をがんばって、きちんと就職しています。(まっとーな人生を歩んでいます)

彼女のストレスの捌け口は勉強だったみたいです。勉強は努力したぶんだけ結果がわかりやすくでるから、家族のストレスがあっても勉強に集中するようにがんばっていたみたいです。

さすが理系。

ただ、友達をつくったりとか、コミュニケーションの面では苦労をしているみたいです。

家の中ではコミュニケーションは皆無だったので。笑

 

 

といういわゆる家族団欒のない家族でした!むしろ毎朝、毎晩どなりあっているような家族でした。

こんな家族、ないほうがましだと1000万回くらい考えていましたし、

母を刺し殺そうと100回くらい考えました。

 

でも、こんな奴のために私の人生を棒に振りたくない。

ちゃんとした屋根のある家の一人部屋で眠れるだけマシだ、と

毎晩言い聞かせて、生きてきました。

 

犯罪歴があるとワーホリのビザが取れないので勢いあまらなくて良かったです。

 

 

長くなりましたが、上記の家族が私の生まれ育ったコミュニティです。

私を安心させてくれて、甘やかしてくれる人はいなく、自己を肯定してくれる人もいませんでした。

なにか問題があったら、自分で考えて解決するか、できなかったら逃げる!という策をとって生き延びてきました。

 

さて、そんな環境で成長したので、自信のなさと人間不信により人とコミュニケーションを取ることを避けていて、親しい友達はあまりできず、クラスでもずっと陰キャラでミステリアスな子というポジションでした。

 

自己形成がされなくて、好きなことや興味があることが分からず、将来の夢もとくにありませんでした。

否定されることが怖くて、なにかに興味を持つことがいけないのではないかと思っていました。

母に否定されたり、けなされたりが日常茶飯事だったので。

ときどき姉2人も参戦してきて、家族揃って末っ子イジメされてました。小さいから言い返すことなんてできませんでした。

 

私が高校生になってから父方の祖母が同居することになり、家中がダークサイドに一気に引き込まれました。ご想像していただける1000倍くらいの嫁姑問題です。

それを言い訳にしてはいけないと思うのですが、受験期の娘のことなんて母に気にする余裕などなく、鳴り止まない怒鳴り声と、家中の空気の重さによるストレス、、、全く勉強に身が入りませんでした。

 

特に大学に行く意味が見出せなかったというのもありました。

生きてる意味もわかりませんでした。笑

しかし、通っていた高校がなかなかの進学校だったことと、

住んでいた地域が勉強熱心で勝ち組てきで高貴なご家庭が多かったことにより、

 

なんの疑問もなく大学受験の流れだったので、とりあえず受験していました。

 

志望していた大学に受からなかったので浪人しました。

なぜ浪人したのだろうと!今の私なら反対します笑

 

なんでもいいからストレートでいいから、受かったとこに通っていればよかったのに。

なんでもいいから1番偏差値が低い学部でいいから、受けて入っとけば後から編入できたのに。

 

そんなわけで浪人しましたが、我が家の状況はなにも変わらず。

私の士気も上がるわけがなく。廃人のような一年でした。

一浪したにも関わらず、第一志望の大学には入れませんでした。

 

きっと、その頃からうつ病を発症していたと思います。

人生ずっと鬱のようなものだったので、自覚はあまりなく。

 

大学生になってから、ひきこもりになりました。

卒業するのに6年間かかりました。

何度も何度も辞めようと思っていました。

 

特にイジメとか、勉強が大変だったとか、大きな病気をしたとか

全く理由は自分でもわからないのです。

 

ただ自分という存在がわからなかった。

なんのために学校にいって社会にでるのか。

生きてたってしょうがないし、どうせいつか死ぬし。

 

大学生になっても厨二病を患い、メンヘラだったんです。

友達もそこそこできて、サークルも入って、楽しいときは楽しかったのですが

 

自分自身にこれといって長所がない、魅力がない、努力もできない

 

と周囲の友だちと自分を比較しながら、自己否定を強めて

自ら鬱になっていったというのでしょうか。

 

たくさんの人と出会えば出会うほど、自分の存在価値がないように思えて仕方なかったのです。

 

今こうやって思い返すと、なんだそんな事バカじゃないのかと、笑い飛ばせるのに

心が病んでいたときは何もわからないんです。

 

ケイタイを水没させて、友だちとの連絡をいっさい遮断させました。

アホやん。笑

 

急に連絡が途絶えたらなにがあった!と心配しますよね。

友だちに心配されてる、迷惑かけてるということに気が付かずに

自分のことばかり考えて

着信やメールがあっても、

 

あ、やばい怒られる、殺される

みたいに思っていました。

 

んんんんん、、、、なんなんでしょう。

 

完璧でないといけない、理想通りの自分でないといけない。

そうでないと人に嫌われてしまう。認めてもらえなくなる。

 

という潜在意識があって、

少しでもダメな自分に気がついてしまったら、もう生きていけない

ていうような考えだったのでしょうか。

 

学生のうちに世界一周旅行でもなんでもしておけばよかったです。

どうせ死ねずにひきこもって時間を無駄にしていたのですから。

 

私には大事な時間だったということで前向きに捉えるようにしています。

 

心を整える時間

だったということで。

 

西野さんもいっていました。過去は変えられると

 

変えてみせましょう。

 

 

そんな様々なうつうつとした経歴があり、社会人になっても自分が新卒のわりに年齢がいっていることを気にしすぎて、そのぶん頑張らないといけないとプレッシャーをかけすぎました。

 

その上、日本の上下社会を生き抜くのに必要な

“空気を読む”

という風潮が、辛すぎて。

空気なんて読めません、死んで詫びます。という気持ちでした。

 

おそらく10kgほど太ったと思います。

ストレスで毎晩チョコやお菓子を大量に買って食べるという過食になっていました。

 

以上が、メンタル面による私がワーホリ行きを考えた理由です。

ながい。

 

 

 

 

 

 

毒親とAC

AC アダルトチルドレンという言葉をきいたことはありますか?

幼少期に親や周囲の大人から虐待や暴言を受け、機能不全家族のなかで育ち、生きづらさを感じたまま大人になった人のことです。

トラウマを抱えていたり、社会に上手く適応できないケースが多くあります。

 

私もそんな機能不全家族のなかで育ちました。

私は3人姉妹の末っ子に生まれましたが、周囲からはよく末っ子ぽくないなんて言われます。

私のことを甘やかしてくれる人が家族にいなかったので、いわゆる末っ子にもたれがちなイメージの“愛嬌があり、世渡り上手で、わがままな子” になれなかったからだと思います。

自分のことは自分で解決しなきゃならないんだと、子供ながらに不器用に考えて育ちました。

そのせいかいまだに物事を効率的に考えることが苦手なように思います。

感情に任せることもあり、子どもっぽい判断になってしまうことも多々あります。

 

アダルトチルドレンの症状

  • 自分の判断に自信がもてない
  • 自己感情の認識、表現、統制が下手
  • 自分は他人と違っていると感じる
  • 傷つきやすく、引きこもりがち
  • 孤独感、自己疎外感
  • 必要以上に自己犠牲的
  • 物事を最後までやり遂げることが困難
  • 他人に依存的
  • 罪悪感をもちやすく、自虐的
  • 常に不安感、リラックスして心から楽しめない

 

私にあてはまる症状はこんなところでしょうか。

未だに自分の感情のコントロールが出来ずに苦しむ事があります。

なぜなら、幼少期に常に自分の感情を押し殺してすごしていたからだと思います。

母がヒステリックな人で、常に怒鳴っていたので、とくに自分の悲しみと怒りというか感情は出さないようにしていました。

人に迷惑をかけるとおもっていました。

それから、嬉しいや楽しいという感情を表にだすのもダメなことだと考えていました。

その理由としては、母が人の幸福を極端に妬んでいたことが原因だとおもいます。

 

そんなおさこんでいた感情が、ある日突然おさえきれなくて、爆発するなんてことがありました。

その日から後はしばらく引きこもることもありました。

 

両親のかんけい

母がいつも怒鳴り散らしている人だったので、父は日に日に寡黙になっていきました。

私がまだ幼かった頃は、父も母をなだめようとしていたのか、夫婦ケンカを毎日していました。

それが母になにをいっても無駄だとある日気が付いたのだとおもいます。

いつも支離滅裂なことを言う人とは、まともにケンカもできませんよね。

夫婦ケンカというよりかは、母が一方的に父に対して愚痴をさんざんぶちまけるようになっていってました。

それでも、家族を見捨てずに毎晩きちんと家に帰ってきてくれていた父には尊敬します。

一緒に住んでいたころは父のことも責めたりしていましたが。

なんでお母さんときちんと話してくれないの!!

って感じで。

むしろお父さんのせいで、お母さんはあんなにもヒステリックになってしまったんだと考えていました。

母の愚痴を毎日きいていたせいで、お父さんは悪者みたいなイメージを刷り込まれていたんだとおもいます。

おそらく父も仕事と家庭のストレスでうつ状態になっていたのではないかと、、、

 

母はなんの精神疾患があるのか、本人が病院にいくことを嫌がるのではっきりとはわかりませんが

と、インターネットで調べた限りはこの辺りが当てはまるように思います。

母もそうなってしまった原因は幼少期の環境だとか、

いろいろあるとおもいますが、

正直わかりません。わかってあげたいとも思いません。

 

嫁姑もんだい

私が高校生にあがったころから、父方の母(私の祖母)が同居するようになりました。

理由は祖父が他界して、一人暮らしさせるのが心配だからと。

 

正直、私はこの決断をくだした大人たちを一生許すことはできないと思います。

もともと母と祖母は不仲でした。

いわゆる世間一般的な嫁姑の関係です。

互いにプライドは高く、表面はよいですが、内心よく思っていないのはしっていました。

それにくわえて、母の理不尽でコントロールの効かないヒステリックな性格、、、

 

我が家は崩壊しました。いや、もともと、かな笑笑

 

あまり記憶がありません。

人生で一番楽しいはずである高校生という青春時代。

一番辛い暗黒の時代でした。

 

初めのうちはお互いにまだ牽制しあっていたというか、そこまで本音をぶつけずにいい距離感でやっていたのですが、

まぁ、、、母の怒りの沸点はだれにも読めません。

祖母の言動が事あるごとに母の地雷をふんでしまい、気がついた頃には大爆発。

祖母もエネルギーに溢れていた人だったので、買い言葉に売り言葉。

2人の間には父でさえ入れない。

というか、入りたくない、巻き込まれたくないという思いが一番でしたが。

 

なぜ、そこまで犬猿の仲になってしまったのか

祖母の気が強い凛とした性格と社交性に嫉妬していたのだとおもいます。

また、ウチに越してきて、地域でお友達が出来るように集まりに積極的に参加して、

よくお年寄りのお友達と外出していました。

社交的な人だったし、家にいても退屈だから、人として当たり前だと思うんですよね。

 

しかし母としてはそれが許せず、、、

 

母はもともと人付き合いが苦手で友人と呼べる人でさえもいるのかいないのか。。。

子どもを3人地元の小学校に通わせていたにも関わらず、

ママ友なんて呼べる人に会っているのを見たことがありません。

 

母は表面はすごく愛想良く礼儀正しく接するのですが、

その後はあることないこと(9割ないこと)愚痴のオンパレードです。

人の言っていることを裏の意味にとって

自分に関わるひとは全員うそつきで、敵で、裏切り者で、みたいな妄想の悪口が半永久的に続きます。

 

子供の頃は人ってみんなお母さんみたいなんだと、正直極度の人見知りでした。

表面上は仲良く振る舞ってくれても、裏ではどうせみんな悪口いっているんだろうと擦り込まれてしまい、自分の意見を出すことができなかったです。

20歳ごろまで。

 

だから私の周りの友達は私がなにを考えているのか分からなくて困っていたと思います。

大学に入るまでは周りに流されて、勉強してテスト受けていれば、自分の意見をいわなくてもなんとか生きていける状況です。

しかし大学に入って、自分で発言をしたり、選択しないといけないことが増えたときに

私はパニックになりました。

え、どうやってこの先生きていけばいいのだろうと。

 

話は戻りますが、私がちょうど受験期のころでした、嫁姑問題が酷すぎて、ストレスとストレスとストレスとストレスにより

全くといっていいほど勉強に身が入りませんでした。

あと自分の中で大学に行く意味がなかったというのもありましたが。

生きてる意味もわからないのに、何のために猛勉強して大学に行く意味なんてあるんだろう。

 

母は子どもにいい大学に入って、いい会社に勤めて、いい旦那様をみつけて安定した

将来を築き上げて欲しいみたいなことを言っていました。

3人中1人はきちんと働いて仕事もしています。

でもあんな家庭環境の中では強靭なメンタルを持った人だって難しいです。

レコーダーにとっておけばなぁ

 

あの頃の記憶はなかったことにしているので、今でも思い出して詳細を書くのは難しいです。

 

ただ一つ覚えているのは、ある日祖母が疲れ切った顔で

「OOちゃんが勉強の成績が上がらないのは私がこの家に来たからなんでしょ?」

と言われました。

はっきり言って、祖母が同居し始めてから母の凶暴化は加速していってたし、うんそうだよ。と言ってしまいたかったですが、

祖母のあそこまで絶望しきった顔をみたことなかった私は困惑して、

そんなことないよ、私が頑張ってないから。みたく返しました。

 

そうだと言ったところで、祖母はすぐに出ていける訳でも

ないですし、母の性格が急に穏やかになるわけでもありません。

私も私自身の人生に絶望していたのも事実です。

 

理由がなかったので大学なんていかなくても良かったのかと当時は思っていましたが、学位を取っただけ十分です。

半分ひきこもりで卒業までそうとうの年月を要しましたが。

親は金がない金がないといっていましたが、祖父母の代がよっぽど貯金をしてくれていたので、卒業することができました。

 

未だに両親の金銭感覚はわかりません。

正直、私もお金にそうとう疎かったです。

そういうの教えてくれる親だったらな、と考えてしまいます。

祖父母の代が裕福だったので、私の両親はお金に苦労することなく生きていくことができるようです。

羨ましい。

その割に人には金を返せ、返せ、ばかりです。

自分で稼いだ金じゃないのに。

誰が大学まで出させてやったんだ。誰がこの家の税金払ってると思ってんだ。

ばかりです。

自分で稼いだ金じゃないのに。

自分の金で建てた家じゃないのに。

 

、、、と言った正論で返すものなら、その1000倍くらいのパワーで人を罵倒してくるものですから、

はい、すいません。

くらいしか言わないんですけど、

 

反応が薄いと、なんだそれだけか、じゃあ今すぐ金払えよ

、、、てなって、それまた怒りに触れるんです。

 

母の許容範囲の狭さは日本人のトップ10に入るのではないでしょうか。

 

今だからこそ、こうして文字に書き起こせますけど

 

ずうううううううっと蓋をしていました。

 

しかし、それだと私の芯の部分がどうにも良くならないので、時間をかけてアウトプットしていきます。

 

もうまとめも結論もないや。

 

書きたいことを書いてるだけになってしまいました。

論理的になれるようにコツコツ頑張ります。

できるだけ毎日つづけます。

 

ここまで読んでいる人は私だけでしょう説

 

 

 

自信

自信というものはどうしたら身につくのか

 

外見?性格?経験?

 

私は生まれてこのかた自信とはなにかを考え続けています

自信はないけど、行動はする

自分に自信をつけるために動き続けてる、といった感じでしょうか

 

そもそも私の自信のなさは、

家庭環境にあるかと思います

 

母は常に自分以外の人を卑下することしか言わず

いつも外見を否定され

やりたい事を受け入れてもらえず

母がさせたいことを強要し

姉二人といつも比較され

家族団欒の時間がなかったので、楽しかったり嬉しかったりした出来事を共有できず

喜怒哀楽の感情をなるべく押し殺して生活し

 

といった幼少期〜小学生

 

自分の感情よりも母の顔色を伺いながら生きることが大切なのだと考えていました

 

いうなれば、自己形成がされませんでした

夢も希望もなく、とりあえず勉強をして大学までいけばいいんだろうと、自分の将来をまるで他人事のように考えて暮らしていました。 

 

未だに自分のやりたい事がハッキリとしません

自分を100%信じきれないために、挑戦することが怖いのです

夢を追い求めるというのがどういう事なのか分からないのです

つい4年、5年前まで自己肯定感がゼロで夢も希望もなく、なんとなく周りに流されて生きてきた人間がどうやって同世代の人々の能力に追いつくことが出来るのだろうと考えてしまいます

 

気がつくとネガティブキャンペーン実施中

 

でも、今更ながらですが、自分は生きていていいんだと思うことができて良かったです

 

自信と違う話になっている

 

自信は自分一人だけでは成り立つものではないと思います

周囲の環境が大いに影響すると思います

 

周囲から存在を認められることが自分を奮い立たせる原動力となり、

目的を達成することの足がかりとなり、

そこからさらに達成感を得ることができ、

様々な経験を得て、

人は夢に向かって走り続けられるのだろうと

 

私は家族という人間関係の基盤がボロボロ

というより

沼地のように足を引っ張る存在で

そこにエネルギーを全て費やしてしまいました

 

学校行事がいかに辛かったか

暗かったなー

 

今も根暗

 

相変わらず

文章書いてると感情的になってなにが書きたいのか分からないのです

 

 

 

ロンドンのサービス

サービス

 

1.交通機関

 

海外の電車は時間通りに来ないとか、ストライキで運休だとか、

海外に興味のある方はよく耳にするかと思うのですが、、、

 

とはいえロンドン、ヨーロッパいちの大都会ですから、

そんなことは無いんじゃない?と思いますよね。

 

そんなことはあるんです!!

 

ロンドンに住む人の生活の足になるのは

主に地下鉄チューブと二階建てバス

 

当たり前のように遅延致します。

 

駅の構内やいくつかのバス停に、電光掲示板が設置されるようになり、

以前よりかは改善されたようですが、

 

え、、、まだ来ないん?当たり前

え、、、もしかしてもう行っちゃったの?当たり前

 

電光掲示板の意味はぁーーーー?

とー、突っ込みたくなることも、しばしば。

 

日本のように1分遅れたりしただけで

謝罪をしてくれる運転手さんの礼儀を見習ってください、と思ってしまいます。

 

ロンドンに住んでいる人々もそんなことには慣れっこで、

ちょっとの遅延程度では騒ぎません。

待っていれば来るか、という心持ちが大事と思います。

 

さすがに理由も分からず、10分以上も待たされてはイライラする人も見受けますが。

仕事に影響しますからね。。。

 

乗っている途中で急停車もしばしば。

駅と駅の間は空気も悪く電波も届かないので、

しんどいです。

私も何度か遭遇してしまいました。

 

信号の故障や、なにかの不具合が理由でしたが、

最初の5分程はなんの情報も教えてくれません。笑

 

恐らく、運転手さんも情報を確認していたと思うのですが、

せめて一言くらい、、、って思います。

 

日本に戻って、電車が遅延した時は

運転手さんがひと駅ごとに遅延の理由と謝罪とをしていたので

すごく丁寧で安心するな、さすが!

という気持ちと、

 

それだけ謝らないと

文句を言う利用客が多いのも事実なんだな、と

複雑な気持ちになりました。

 

コンプライアンス多そう。。。

 

次に、二階建てバス

ダブルデッカー!!

あの真っ赤な、ロンドンを象徴するやつです。

 

私は行くまでは、観光用?なんて思っていたのですが、

みんなの生活に欠かせない乗り物です。

 

バスは渋滞があるので、遅延は仕方ないと思うしかありません。

時間に余裕のある時、または

24時間運行している路線もあるので、終電が終わってしまった後などにも利用できます。

そして、安い!!

急いでいるときはチューブの方が安心です。

 

交通費については別記事で書いて行きます!

 

また、空港に行くまでにもリムジンバスがあるのですが、

ひどい時は遅れること、あります。

ごく稀ですが、、、

 

先日、私が空港行きのバスを待っていた時に

他の空港までのリムジンバスを待っている方が30分近く待っても来ないと言っていて、、、

飛行機間に合うのかな、と心配してしまいました。

 

電車が走っている時間帯なら良かったのですが、

まだ始発前の時間でしたので、リムジンバスを待つしかない状況でした。

辛い。。。

 

日本でなんの理由もなくそんなことが起きてしまったら

大問題ですよね。。。

ましてや空気行きのバスは時間厳守でないと飛行機に乗り遅れてしまう可能性があります。

そうなるとバス会社の賠償問題などに発展することになりかねません。

 

 

こういった交通機関の会社や運転手さんたちは

日本のように

『お客様は神様だ』精神はゼロだと思います。

 

あくまで対等の立場であり、

ストライキが起きて路線が止まるのも

クリスマスに全交通機関が止まるのも

 

自分達の生活を第一に考えているから。だと思います。

 

日本人のように身を粉にして

睡眠時間を削ってまで働くようなワーカホリックの方々はごく一部です。

 

乗客が英語でguest ではなく、あくまでpassenger であるのには

なるほど、特にもてなす対象ではないのだと理解できます。

 

日本語ではB to B の状況でしたら、「客」として対応しないとならないですからね。

文化の違いです。

 

レストランやホテル

一流のレストランでの食事や、一流のホテルに宿泊された場合は

心地の良い、手の行き届いたサービスを受けられることは間違いありません。

 

それ以外は、雑、です。

 

ロンドンは移民が多い都市でして、サービス業に従事しているスタッフは基本的にイギリス人以外のことがほとんどです。

なぜなら賃金が安いから。ポジションによるとは思いますが。

イギリス人はわざわざそんな仕事したくない!

と考える方が多いです。

オフィスワークの安定した仕事に着くのが当たり前のようです。

 

移民が多く、様々な国籍が混ざっています。

 

第一言語は英語ではなく、

文化背景が違い、

サービスの基本的な固定概念も違う

 

日本のように隅から隅まで手の行き届いたサービス基準を徹底するのがいかに難しいか

想像できますでしょうか。

 

それなら、マニュアルを作ればいいのでは?

とはいっても

作ったところで従う人は、ごく一部、、、

 

そんな細かいマニュアルやルールに縛られてばかりの職場は

人気がでないと思います。

 

従業員の入れ替わりも多いです。

仕事を求めてロンドンに来たけど、やっぱり合わないから国に帰る、という方も多いです。

足掛けのようにして、

少しでも良い条件のところが見つかったら、あっさりと乗り換える方も多いです。

多国籍な環境なので、スタッフ通しの合う合わないも重要です。

 

つまりは

日本と同様のサービスをどこでも受けられると思ってはいけません笑笑

ということです。

 

マックのスマイルはオプションです。

 

店員が無愛想だったり態度が悪いからといっても、

それが当たり前です。

逆にフレンドリーに話しかけてくれる人もいます。

 

仕事中もみんな人間性を出しながら働いているということでいいでしょうか?

個性を押し殺さない文化なので

それが当たり前なのだと、理解しましょう。

 

よく分からないまとめになりました。泣

 

つづく、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロンドンと東京のなにが違う??

 

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ロンドンの都心部と東京、首都圏をわかりやすく比較してくれています。

ロンドンは少し都心部を抜けると緑が多くて、住みやすそうですね。

 

それに比べて、首都圏は住宅が密集しているので、周囲に緑がほとんどありません。

これはヒートアイランド現象の原因になっているのでしょう。

https://www.buzzfeed.com/jp/simoncrerar/toukyou-ha-chi-sa-ku-na-n-ka-na-i-16-mai-no-chizu-ga-shime-s?utm_source=dynamic&utm_campaign=bfsharecopy&sub=0_7812663#7812663

 

単純に首都圏の方が大きくて人口が多いのは当たり前ですが、

これだけの範囲から多くの人々が東京に通勤、通学しているんだと思うと、

平日日中の東京の人口密度ってどのようになっているのでしょう。

 

  1. 清潔さ
  2. サービス
  3. 治安
  4. 交通
  5. 音楽
  6. 親切心

 

清潔さ

ストリート

ロンドンの都会の街中は東京と比較するとキレイとは言いがたいです。

ロンドンや駅の構内には道沿いにはゴミ箱が点在していますが、

残念ながらタバコの吸い殻やスナック包みやペットボトルがそこら中に落ちています。

毎晩のように清掃車が走って道をキレイにしてくれますが、、、

日本人ほどはゴミを持ち帰るという風習は認知されてはいません。

 

だから、スポーツ観戦後に日本の席はキレイということが

世界中のニュースで注目されるんですね!

 

日本人はキレイ好きということ誇りに思いましょう。

 

店内

ロンドンは都会ですから、もちろん東京と同じように数多くのアパレルの店舗が立ち並んでいます。

 

日本人にも馴染みがある

ZARA, H&M, Forever21, TOPSHOP

といったファストファッションのお店はイギリスでも若い年代を中心に人気です。

 

とりわけ、その中でもアイルランド発祥の

PRIMARK

破格中の破格!!

日本でいう、しまむらやGUの価格帯でしょうか。

 

素材感は価格相応かもしれませんが、

安くてデザインも悪くないので、

ワンシーズンは余裕で乗り切れます。

 

そういったファストファッションのお店は共通して

商品整理が全く追いついていない!!笑

 

いや、本当に笑ってしまうくらいに

様々なアイテムが床に落ちていたり

なんでこれがここにあるの状態で

突っ込みどころ満載です。

 

セールのシーズンになると試着時に着いたであろう、

ファンデーションや口紅の汚れが着いた

お洋服を割引して売っています。

 

正直、、洗っても落ちなそうなので割引でも買いたくはないですね。

 

これは店員さんがサボっているというよりかは、

お客さんの質だったりするのかな、と考えてしまいます。

 

PRIMARKというお店は観光客の方も多いみたいで、

店内はカオスです。

安くてイギリスらしいデザインのアイテムが手に入るのが

お土産にちょうど良いのだと思います。

 

まぁ、店員さんも日本人に比べたら、おしゃべりしてたり、

レジで行列してるのに急ぐ気ないなぁと感じたり、

マイペースで働いてる方が多いように見受けられますがwww

 

トイレ

お手洗いに関して言えば、

世界中で日本以上にキレイなトイレは存在しないと思います。

 

totoさんのウォシュレットは本当に素晴らしいです。

 

イギリスなんて特に寒いのだから、

せめて暖かい便座を導入してくれてもいいのにと思うのですが、

 

どんなにキレイなデパートであれ、

どんなにキレイなレストランであれ、

 

お手洗いの内装はキレイでも

便器はシンプルなやつです。

 

、、、逆に日本だとシンプルな便器を置いてるところの方がすくなくなっていませんか??

 

観光客が騒ぎ立てるのも無理はないかと思います。

ボタンが多すぎて、トイレ済ますのも一苦労ですよね。

私たちは慣れていますが。

 

あと、場所によりますが

ショッピングモールの中だったり、

大きな駅の構内にあるお手洗いは、

チップを取るところがあります。

コインを入れてゲートを通らないと入れなかったり。

 

防犯上の理由が1番かと思います。

浮浪者が入ってきて住まわれたら、というリスクがあるからでしょう。

 

 

はい、、、長々と汚い話をしてしまってすみません((汗

 

 

その2へと続きます